医療倫理をめぐる諸問題についてポイントを説明しましょう。この分野は小論文、面接試験ともに最頻出ですので、しっかり理解を深めて、自分の言葉で説明できるように準備しておくことが大切です。できれば、このテーマについての過去問を実際に解いてみて、先生に添削してもらうとさらに効果的です。
第一に、医療従事者は一人一人の人格を尊重し、生命の尊厳を守り抜く強い意志を持たなければならない。一人でも多くの生命を救うために、あらゆる努力を積み重ねながら、全力で尽くすことが求められる。
第二に、医療従事者は医学への飽くなき関心や、研究への強い情熱を持たなければならない。日頃から技術の研鑽を怠らず、医学のめざましい進歩に貢献するような探究心が求められる。
第三に、医療従事者は現場の状況を素早く冷静に判断し、まわりのスタッフと協力して適切に対処する行動力を持たなければならない。とくに医師にはチーム医療を実現するために、全体に配慮しながらまとめていくリーダーシップが不可欠である。
第四に、医療従事者は患者と同じ視線に立って、わかりやすい言葉で説明するコミュニケーション力を持たなければならない。ときには、医療とは関係のない世間話など、患者との他愛のない会話を通じて、患者の痛みや苦しみに共感しながら心のケアをすることも必要である。社会的弱者といわれる高齢者や障害者への優しさや思いやりは欠かせない。
古くから、医療現場ではパターナリズムが当然とみなされてきた。パターナリズムとは父権主義と訳され、父親が子供のために色々な判断をして、子供はそれに従うほうがよいとする考え方をいう。医療上のパターナリズムとは、専門知識をもつ医師が患者のために最善の治療法を決定して、患者はそれに従うほうがよいとする考え方をいう。そこでは、患者の判断が軽視され、患者が拒否する治療も正当化されてしまう。
1960年代頃からアメリカでは、医療の変化や患者の権利意識の高まりなどから、こうした医の倫理が見直され、医学・倫理学・宗教学・哲学・経済学・法学・社会学・心理学など、学際的に人間の生命に関する倫理的問題を研究する学問が注目されるようになった。これをバイオエシックス(生命倫理)という。
この考え方では、医師と患者は対等であり、医師は患者の人権や人格を尊重し、治療に関する患者の自己決定権を尊重することが基本とされる。そのためには、医師は患者に病状や治療方法について十分な情報を提供し、患者に分かるように説明し、患者の同意を得た上で医療行為を行う必要がある。これをインフォームド・コンセント(説明と同意)という。
さらに、患者の意思を尊重した治療のあり方は、患者の価値観に基づいて自分らしい生き方を求めることにもつながる。これを生命の質(QOL=Quality Of Life)という。もちろん、医療の基本は生命の神聖さ(SOL=Sanctity Of Life)であり、生命とは絶対的に平等であり神聖な価値をもつことは言うまでもない。しかし、不治の病や生活習慣病のような場合は、延命治療をひたすら続けるより、残りの人生をいかに自分らしく生きるかを重視すべきではないかという考え方もある。現代では、人生の充実度を高める生命の質を求める傾向が強くなっている。
その際、たとえ不治の病や難病であったとしても、今後の有意義な人生を選択する可能性を奪わないために、患者には原則として病名や病状を告知すべきであるという考え方が浸透してきている。ただし、告知をすることで患者が精神的ショックを受けてしまい、治療に対する気持ちが萎えてしまったら本末転倒である。そのため、患者には知る権利とともに、知らないでいる権利も保障されなければならない。それでも患者が告知を希望する際には、医療従事者と患者の信頼関係を築いたり、患者の年齢や性格、病状を考慮したり、告知後の精神的サポートを継続するなどの条件を整える必要がある。
バイオエシックスをめぐる解釈には、このほかに、生命は神聖な領域であり、人間が不用意に介入すべきではないという考え方もある。これは遺伝子診断・出生前診断・クローン人間・体外受精・人工授精・安楽死・尊厳死・脳死・臓器移植・生体実験などの場合に問題となる。医学的見地だけでなく、宗教学・哲学・法学・社会学などの見地からも総合的に考える必要がある。
近代科学においては、見る側である主体と、見られる側である客体が切り離され(デカルト二元論)、人間が対象世界を客観的に分析し、そこに普遍的な法則性を見出すという方法が採られていた。自然を単なる死物と捉え、あらゆる物質を分子、原子、素粒子などの要素に還元し、その仕組みを分析するアプローチを要素還元主義という。
医学においてもこの方法が採用され、人体をロボット部品のように分解し、病気の原因をつきとめ、そこだけを治療するという方法で研究が進められた。たとえば、死刑執行後の囚人の身体を実際に輪切りにして、レントゲンやMRIなどの医療技術が確立された。
たしかに、このようなやり方は医学を飛躍的に発展させてきたし、多くの人命を救ったことは事実である。しかし、そもそも人間という生き物は単なる物質ではないし、精神的な要素が身体にかなり影響を与える、心身一体の存在である。また、人間の身体には一人ひとり個性があるため、その仕組みを普遍的な法則によって画一的に解明することは難しい。そこで、現代では従来の要素還元的なアプローチの限界が認識されはじめ、患者の精神的側面や患者一人ひとりの個性にも配慮する見方が重視されている。
また、科学者は自分の研究に没頭するあまり、社会との関わりを見失う危険性がある。たとえば、アインシュタインはルーズベルト米大統領に原子爆弾の製造を進言した。それにより、実際に原子爆弾が製造され、日本に投下された現実を直視したアインシュタインは自らの過ちに気づき、研究仲間であった湯川秀樹に泣いて謝ったという。医学においても、生命の神聖さを無視したクローン人間を作製することの社会的影響の大きさを考えれば、研究者は自制すべきである。
このように、研究者は真理の追究に夢中になるあまり、生命倫理に反するような研究を安易に進めてはならず、社会的責任や自己抑制という倫理をもって慎重に対応する必要がある。