今回のテーマは、人間の死をめぐる問題です。これは少々シリアスなテーマで、若い人には実感が湧きにくいかもしれません。が、とても大切な問題ですので、想像力を膨らませて考えてみましょう。
安楽死とは、患者の堪え難い心身の苦痛を除去したり緩和したりするために、治療を中止したり(消極的安楽死)、薬剤投与などによって(積極的安楽死)、死期を早めることである。行為の主体は患者であり、苦しむ患者自身の意思が不可欠となる。オランダやベルギーなど、一部の国や地域では法律で安楽死が認められている。
日本では、1991年に、東海大学付属病院の内科医の大学助手が昏睡状態にあった末期がんの患者に対し、患者の家族から楽にしてほしいと依頼があったとして、塩化カリウムを注射して死亡させた事件がある。横浜地裁は1995年3月、安楽死が認められる要件(①患者に堪え難い肉体的苦痛が存在すること、②患者の死が避けられず、かつ死期が迫っていること、③患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くし、他に代替手段がないこと、④生命の短縮を承諾する患者の明示的意思表示があること)を示し、それらを満たした積極的安楽死とは認定せず、医師に懲役2年、執行猶予2年の有罪判決を言い渡した。
尊厳死とは、人間らしい自然な死を迎えるために、死期の迫った患者が無益な延命治療を拒否することによって、死期を早めることである。患者の尊厳を保ちながら、自分らしい死を選択するという死に方なので、患者の意思表示が不可欠なのは当然である。また安楽死とは違い、耐え難い肉体的苦痛の存在は必ずしも必要とされていない。
日本では、器械と薬剤による機械的な延命治療への批判が高まる中、1976年に日本尊厳死協会が発足した。協会では「リビング・ウィル(生前の意思表示)」を発行し、尊厳死を広める運動をしている。ただ、これは私的なものであり、法制化はまだされていない。よって、病院によっては独自にリビング・ウィルを示す文書を用意し、患者の尊厳死を尊重する方針を出している。
回復の見込みがない患者を対象として、患者が残された人生を自分らしく過ごせるように看護する医療を終末期医療という。主な医療措置は苦痛の除去・緩和が中心となる。
患者の抱える苦痛は身体的なものだけでなく、孤独や恐怖などの精神的なもの、入院費用などの経済的なもの、家族関係のトラブルなどの社会的なものもある。そのような問題を乗り越えるには、患者のQOL(生命の質)の観点から、患者の意思を尊重しながら人間らしい生き方を全うする手助けをしたり、医師や看護師、医療ソーシャルワーカー、心理カウンセラー、ボランティアなどが一体となって患者とその家族を支えることが大切である。
このような医療を専門に行う施設をホスピスといい、そこで行なわれる医療行為をホスピス医療という。この他には、住み慣れた在宅で医療行為を受けることを在宅終末期医療という。