第16回目のフォレストクイズです。記事の更新日である12月9日は「ジェノサイド条約」が採択された日です。「ジェノサイド」とは国民的、人種的、民族的、宗教的な集団に対する破壊的行為を意味しますが、ドイツのナチス政権がユダヤ人を虐殺したホロコーストが起こったことを契機に1948年に採択された「ジェノサイド条約」は、国連総会で採択された最初の人権条約であると共に、「世界人権宣言」が採択される前日に採択され、国連が目指すべき平和の理念を強く表明したものとなっています。
さて、そんなジェノサイド条約が採択された12月9日は、ホロコーストにも関係がある化学者の誕生日でもあります。そこでこんな問題。
Q.第一次大戦下ではドイツ軍の毒ガス研究の最先端に立っていた、化学肥料に用いられるアンモニアの工業的製法にカール・ボッシュと共に名を残す化学者は誰?
~答えは下にスクロール~
A.(フリッツ・)ハーバー
1868年12月9日に生まれたフリッツ・ハーバーは、一般に「ハーバー・ボッシュ法」の開発で知られています。「ハーバー・ボッシュ法」とは空気中の窒素を水素と触媒に反応させてアンモニアを得る方法で、これにより化学肥料の大量生産が可能になったことで食糧生産の増大とそれによる人口増加を支えた技術です。しかもこの技術は今日まで理論的には大きく変わることなく活用され続けている世紀の大発見でした。ハーバーはこの功績により第一次大戦後に1918年度のノーベル化学賞を受賞しています。
ところがこの受賞に際し批判の声もありました。それはハーバーが第一次大戦中にドイツ軍の毒ガス兵器開発の指導的役割を担っていたためです。高名な科学者が戦争時に軍部に貢献すること自体は珍しいことではありませんが、ドイツ軍は大戦中のイープルの戦いで史上初めて毒ガス兵器を大規模に実戦に導入しており、このことからハーバーは「化学兵器の父」としても悪名高き存在となっていました。実は先述したハーバー・ボッシュ法も、第一次大戦下では火薬の開発に活用されています。ハーバーが毒ガス研究に身を投じ没頭したのは、一説にはユダヤ人であった出自を捨てドイツに献身するためであった、などともされていますが、実際のところはどうだったのでしょうか。その後のナチス政権下ではハーバーはドイツを追われることとなり、ハーバーが開発した毒ガスはユダヤ人の強制収容所で使用されることとなります。ハーバーの科学者としての生涯は、科学が持つ光と影の両面性を後世に伝えている、といえるかもしれません。
12月も半ばに差し掛かり、フォレスト生の皆さんも今後の受験スケジュールが決まってきているのではないでしょうか。一つの区切りが見えてきた中で、どれだけ踏ん張れるか。これからの時期をしっかりと戦い抜くことで、本番に挑む時の自信が違ってくることでしょう。自信が違えばパフォーマンスも変わるはず。そう信じて駆け抜けていきましょう。頑張れフォレスト生!
医学部専門予備校メディカルフォレスト 上山
(次のフォレストクイズ更新は12/12更新の予定です。)
出典
国際連合広報センター https://www.unic.or.jp/news_press/features_backgrounders/49368/
コトバンクhttps://kotobank.jp/word/%E3%81%AF%E3%83%BC%E3%81%B0%E3%83%BC-3163932#w-115876
ブルーバックス編集部 https://gendai.media/articles/-/58744
PHPオンライン https://voice.php.co.jp/detail/11093